「地獄を見てきた」
「……」
休日明けの鈴木の第一声に、佐藤は思わず発言者の顔をしばし凝視した。
「唐突になんだよ」
「だから、地獄を見てきた」
「……は?」
「正確には、地獄巡りだな」
「何か、修行でもしてきたのか? それとも、どこぞの異世界でとんでもない目に合ってきたのか?」
いつものように、うすぼんやりとした顔で教室の席に座っている鈴木に、どっちだ、と目で問いかけた佐藤は、
「うむ、文字通りの地獄だ。閻魔大王にも遭遇したぞ」
そう続いた鈴木の言葉に、机の上に置こうとしたカバンを取り落とした。
「な……、な…?!」
「さすがに威厳のある姿だったな。
仕事から離れると、なかなか豪快で気さくな…」
「ちょっと待て!
マジものの地獄か?」
「…他に地獄があるなら、是非とも行って見たいものだ。
本物とパッチものとの比較対照を――」
「いや、そういう話じゃねえよ」
「パッチものの地獄というと、怪しい見世物小屋の看板のようだな」
「だから、その話から離れろ。
大体、お前はいっつもそうやって……」
コレを機会とばかりに、日ごろからの苦情を連ねようとした佐藤は、ふと表情を改める。
「そういやお前、何もなかったのか?
地獄に行ったってことは、何か酷い目にあったとか…」
心なしか心配そうな響きのこもった声を耳にして、鈴木はひとつ瞬く。
「佐藤は優しいな」
「は、話を逸らすなっ」
唐突に使用された単語に動揺する佐藤を眺め、鈴木はあえて反論もせず、先ほどの回答のようなことを口にするにとどめた。
「…まあ、心配はいらないぞ。
人間、いつ何時(なんどき)どこに行こうと何とでもなるものだ。ははははは」
起伏に乏しい淡々とした笑い声に、佐藤は脱力する。
「あ、そう……。
どっから来るんだよ、その自信は…」
(普通の人間は、地獄に行ってもそんなに平然としてないっての)
そもそも、どこのどんな世界に行ってもケロッとして戻ってくる鈴木にかかれば、地獄も他とたいして変わりがないのだろう。
異世界ツアーに時折強制同行させられる少年は、そんなことを考えながらため息をついて追求を諦める。
「……それで?
豪快で気さくって、エンマさまが?」
「ああ。そのあたりは想像の範疇だったが、駄洒落が好きだったとはさすがに知らなかった」
「……だじゃ?」
顎の落ちそうな、とは、こんな顔のことを言うのだろうかと思いつつ、鈴木はいつものように頷く。
「ダジャレだ。
たまたま一緒に酒を飲む機会があったんだが、酔うと「布団が吹っ飛んだ」だの「猫が寝込んだ」だの連発しては大笑いでな。
配下の鬼たちも影響を受けているのか、仕事中はいかめしいがそれ以外の時間はギャグの嵐だったぞ」
「お……おやじギャグ満載の地獄…」
知られざる真実。
いや、鈴木の訪問した地獄が、自分たちの『知っている』地獄とイコールであるのかはわからないが、それでも。それでもだ。
「そんな地獄…見たくねぇ…」
「案外愉快だったぞ」
「そんなこと思うのは、お前だけだ」
「今朝、理事長に会う機会があったのでその話をしたら、理事長も大笑いして行ってみたいと言っていたが」
「……あ、あのじーさん…」
ガックリと肩を落として、今日も朝から疲労の色を隠せない佐藤であった。
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